一〇 えらい遠廻わりをして

 文久三年、桝井キク三十九才の時のことである。夫の伊三郎が、ふとした風邪から喘息になり、それがなかなか治らない。キクは、それまでから、神信心の好きな方であったから、近くはもとより、二里三里の所にある詣り所、願い所で、足を運ばない所は、ほとんどないくらいであった。けれども、どうしても治らない。

  その時、隣家の矢追仙助から、「オキクさん、あんたそんなにあっちこっちと信心が好きやったら、あの庄屋敷の神さんに一遍詣って来 なさったら、どうやね。」と、すすめられた。目に見えない綱ででも、 引き寄せられるような気がして、その足で、おぢばへ駆け付けた。旬 が来ていたのである。

  キクは、教祖にお目通りさせて頂くと、教祖は、

  「待っていた、待っていた。」

と、可愛い我が子がはるばると帰って来たのを迎える、やさしい温か なお言葉を下された。それで、キクは、「今日まで、あっちこっちと、詣り信心をしておりました。」と、申し上げると、教祖は、

  「あんた、あっちこっちとえらい遠廻わりをしておいでたんやなあ。 おかしいなあ。ここへお出でたら、皆んなおいでになるのに。」

と、仰せられて、やさしくお笑いになった。このお言葉を聞いて、「ほんに成る程、これこそ本当の親や。」と、何んとも言えぬ慕わしさが、 キクの胸の底まで沁みわたり、強い感激に打たれたのであった。

 

一〇八 登る道は幾筋も

 今川清次郎は、長年胃を病んでいた。法華を熱心に信仰し、家に僧侶を請じ、自分もまたいつも祈祷していた。が、それによって、人の病気は救かることはあっても、自分の胃病は少しも治らなかった。そんなある日、近所の竹屋のお内儀から、「お宅は法華に凝っているから、話は聞かれないやろうけれども、結構な神様がありますのや。」と、 言われたので、「どういうお話か、一度聞かしてもらおう。」ということになり、お願いしたところ、お道の話を聞かして頂き、三日三夜の お願いで、三十年来の胃病をすっかり御守護頂いた。明治十五年頃の ことである。

  それで、寺はすっきり断って、一条にこの道を信心させて頂こうと、心を定め、名前も聖次郎と改めた。こうして、おぢばへ帰らせて頂き、教祖にお目通りさせて頂いた時、教祖は、「あんた、富士山を知っていますか。頂上は一つやけれども、登る道は幾筋もありますで。どの道通って来るのも同じやで。」

と、結構なお言葉を頂き、温かい親心に感激した。

 

一七〇 天が台

 梅谷四郎兵衞が、教祖にお聞かせ頂いた話に、

  「何の社、何の仏にても、その名を唱え、後にて天理王命と唱え。」

と。又、「人詣るにより、威光増すのである。人詣るにより、守りしている人は、立ち行くのである。産土神は、人間を一に生み下ろし給いし 場所である。産土の神に詣るは、恩に報ずるのである。」

  「社にても寺にても、詣る所、手に譬えば、指一本ずつの如きもの なり。本の地は、両手両指の揃いたる如きものなり。」

  「この世の台は、天が台。天のしんは、月日なり。人の身上のしん は目。身の内のしん、我が心の清水、清眼という。」と。

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