中山正善『おふでさきに現れた親心』天理教道友社 pp.153-154

 違った私達の気持ちから云うならば、皆が生きて行くことが肝腎なんです。皆が生きて来るということは皆んなが喜ぶということなんで、考えによっては、或る民族だけが喜んで他の者が隷属し、その者が負けて云々するというような事は、”世界一列我が子”と仰せになっている以上、これは当を得ない。同じ様な事を、日本精神の上からもよく「日本みよ、ちいさいように云々」というような御言葉を日露戦争に印刷して配った、という例もあります。然し、その日本というような考え方なんです。その日本という考えを、所詮選民思想的な考え方で説明しようとした、所謂キリスト教的な、バイブルにあったような意味の選民であるかの如き意味で日本を考えようとした。信仰以前の基準にたよって、そして信仰の内容を説明しようとした。強いて云えば、そういうような事も云えるんであります。「にほんみよ」或は「根のくに」、その他すべてのことを、これと同じようなことだと考えて、所謂「につぽん」(日本)、軽薄な日本主義思潮とタイ・アップされたような誤解を受けたことがある。然し日本人のみが助かって、後の連中が皆な滅んでしまうんだというような、さような選民思想はおふでさきの中に窺い得ない。(昭和28年12月11日講義)

中山正善『おふでさき概説』天理教道友社 p.234

 又はキリスト教の神観のように、(と言ってもこれは私が信仰している訳でも特に調べた訳でも無いから、キリスト教や仏教についてはっきりどうこう言うのは僭越であるかもしれないし、想像の域を出ないかもしれないが)私達の信念に於ける神観を説明するのに、そのような具合の概念、通念をこしらえて神観であるというのは、理に於いてならば必要が無い。宗教学と言うよりも、天理教の教理体系を説明するのには、そこまで必要はないというのである。勿論参考として比較してみるのもいいかもしれないが、意義は少ないと思う。(昭和32年講義)

中山正善『おふでさき概説』天理教道友社 pp.149-150

 元初りの御話の際にあって、最初は親神様が道具衆を寄せて承知させて貰い受けられたと述べてある事が、段々と、初めはそれを嫌ったが無理に得心させて協力させた。又、道具衆が嫌ったとか嫌わんとか、何遍嫌ったとかいった具合に、あらすじの中に、だんだんと筆者の感情が入り混じってきて、本筋以外の事の表現に力が入りすぎてくる。言い換えるとだんだんと粉飾されてしまってきた事が窺える。この神様はどっちの方向だ、これは仏教ではどうだ。天体ではどうだという話が詳しくなってきたりする。御承知の様に、おふでさきには十柱の神様の御名前は出て来るが、それが仏教ではどうだというような説明は一切されてない。しかし乍らこふき話の中にそれが出てくる。(明治十四年本説話体の中、手元本に於ては、こうした仏教見立、天体見立は出てこない事を、注意して貰いたい。)

『火水風 二代真柱教義講話集』天理教道友社 pp.259-261

 こふき話の中に出てくる泥海古記の中に、こういうような話があるんです。天にてはこれこれの神と現れられる。あるいは方角から言えばこうある。神道から言えばかくかくの神名であり、仏教から言えばこうだというような言い方がある。これは教祖の、一つのものをお説きになっておられるところの、元の理の説明の分かりやすいようにしてお説きになったところの材料だと私は考えています。その中に私達は初めから神道だ、仏教だといって、判然と分けて天理教のことを思案しようとしていますが、教祖のお説きになっている頃の連中から言うならば、その連中の従来の常識というものは神仏共に礼拝しておった訳でありまするから、その連中に理解さすためには、あらゆる言葉なり、あらゆる前の問題との関連をお話しになっておる。根本的に言うならば、今までの教えは皆今日までに至る、最後の教えに到達するまでの道すがらの教えであったという一言に尽きるのでありまして、今までの教えは間違っておったとはおっしゃていないのであります。いわば、全体の長さが一丈あるものならば今までは一尺だけしか話してないんだ。あるものでは五分しか言ってないんだ。五寸のものもあったんだ。こういうふうな説明はしておられる。従って全体という上から見れば不充分である。不充分であるが、しかし、そういうようなものは間違っておるんだとはおっしゃていない。これは私は天理教の教えというか、教祖の教えの中で忘れてはならない大事なことだと思う。いわゆる仏教がいけない、神道がいけない、キリストがいけない、他宗教がいけないといって誹謗はしておられない。例えば日蓮宗の成立においては他の宗教はいけないということを、人をけなしてしまうことによって自分の存在を明らかにしようという、いわゆる折伏の説教があります。教祖の場合には、それはおっしゃってない。仏教は誤っている教えであるから仏教を信じたならば地獄へ落ちるんだとか、さようなことはおっしゃってない。人間の成人に応じて、その旬その旬にふさわしい教えを受けたんだ。いわば最後の教えを説くまでに至らなかっ時代においてならば、それに該当する長さにふさわしい、応法の道、あるいは途中の教えをしたんだ。かような言い方であります。これは我々天理教の説く場合に、肝心な点であります。仏教信じたらどうのこうのというように、対象的にものを見ているのではなくて、今までのものは総て、いわゆる未完成なものとして、これを見ておられる。子供に相手になるのに、大人の気持をもって大人の理論でやったところで、これはつまらんのと同じように、従来のものに対して信仰しておったことは悪いとはおっしゃってないんです。それはそれでよかったんであります。しかしながら、最後の教えとしたならば、ちょうどそれは変わってくるのであるというような言い方であります。間違いではないが不充分であった、という言い方であります。この点は一つの大切な、教祖のお説きになった方法論の問題である。(昭和37年12月27日)

中山正善『陽気ぐらし』天理教道友社 pp.54-55

 世界中は皆わが子、教祖が相手として道をお説きになったのは、世界中の人たちである。古い教の中に、選民の思想というのが説かれていることがあるのであります。選民、選ばれた民、即ち神様の目に適っている者だけを保護してやろう。それだけを繁盛させてやろう。目に入らないもの、思召に適わないものは、滅ぼしてしまう。こういうような話であります。キリスト教の説もその流れの一つを汲んでおる訳でありますが、ともかく、神様の目に適った者だけが栄える、そうでない者は滅びる、というのは、誰でも考えられることでしょうが、唯お目に適っておられない者は滅んでしまうというところに、私は問題が残ると思うのであります。

 教祖のお考えの中には、世界一れつはわが子とおっしゃっているので、このような道すじは陽気ぐらしへ向かっての道すじである、こういうような道すじは陽気ぐらしへいったならば行き詰まるのであると、良い道と悪い道とはお話しになっております。そして良い通り方は、陽気ぐらしとなることであり、百十五歳定命の身上を貸し与え、それから後はいつまでもよしとおっしゃっている。そうでない者は、早くそのことに気付いて、心を入れ替えてついてこいとおっしゃっている。滅んでしまえとはおっしゃってない。ぼんやりしていると滅んでしまうぞと、例えば、心得違いは出直しだということは、教理におっしゃっています。しかしながら、お前に出直せとはおっしゃっておられないのであります。この点は些細なことのようでありますが、肝心なんであります。問題は、良いか悪いかの判断にあるのではなくて、良けりゃそれでよし、悪けりゃ早く心を入れ替えてついてこい、この心を入れ替えるという点に、教祖のお教の肝心な点があるのであります。

 例えば、教祖は、裁判官のような御立場じゃないのであります。人間を最後の審判にかけて、良いと悪いとをふり分けて、良い者だけをたすけてやろう、悪い者は早くなくなれ、良い者は百十五歳までたすけてやろう、さもない者はすぐ出直せ、とはおっしゃってないのであります。(布教所長講習講話 昭和40年2月27日)

中山正善『第十六回教義講習会 第一次講習録抜粋』天理教道友社 p.124

 五重相伝について

 五重相伝がどういうようなものであるか、どういうような資格に渡されるのか。これは浄土宗のほうの事柄なのでありますが、一応調べてもみましたが、私には得心のいかない点もあり、またそれを皆さんにお話しして、徹底することもどうかと思いますので、五重相伝をお受けになった、一つの宗教的段階をお受けになった、非常に宗教心が深かった証拠として、かような意味とお考えいただきたい。(昭和31年3月11日)

中山正善『成人譜その三 こふきの研究』天理教道友社  pp.153-156

 先ず第一に”こふき”の内容は、

 (イ)おふでさきで窺いましたように、かんろだいつとめに関係あることでありまして、これは、陽気ぐらしへのたすけ一条に関係あることを意味されています。言い換えますと、かんろだいつとめの完成されることが、”こふき”の完成であり、末代のたからであると、仰せられているのであります。

 (ロ)次に、”こふき”と称えられる書き物についてみまするに、年代と共にその内容には、多少の別はありますが、概ね、

1、この世の初まりのお話

2、人間身の内の御守護

3、いんねんとほこりの話

4、をびやの話

5、教祖

6、神道見立

7、仏教見立

等になってありまして、おつとめの意義の説明から発して、信仰するものの態度にまで及び、その節、その節のお話のあやと思われる説話にまで含まれているのであります。つまり、つとめの理の解き明かしに始まるお話が、それを聞いた人々の取る態度にまで、説明が加わってありまして、年代のすすむにつれて、説明が詳細にわたり、本質的な筋に、種々の粉飾と思われる説話が、増しているように思われます。

 第二に、”こふき”の目指されている目的ともいうべき角を窺ってみますと、”こふき”の内容を、単に発表されているばかりではなく、”取次”養成を意図されているのであります。たすけ一条の成就を、独り教祖の努力のみに依るのではなく、助手ともいうべき”取次”の手によってもすすめられるべきであり、その”取次”養成の為に”こふき”が物され、又、その”こふき”により、取次が教祖の助手たるの立場、用木の御用が果たされるように考えられるのであります。かかる意味から、”こふきを作れ”との意味は、”つとめを完成せよ”との意味から、”取次たるものの心得台本を作れ”という意味に転じているかの如く思われるのであります。当初、おふでさきに感ぜられたが如き、”つとめの完成”には取次たるものの話の台本、心の定規を作れという具合に感得され、処理された如く思われるのであります。(昭和31年5月27日~11月18日 天理時報に連載)

飯田照明『だめの教えって素晴らしい!』養徳社 pp.2-3

 二代真柱様は世界三大宗教を学び、そのウイークポイントを究明せよと訓示されたことがある。

昭和十七年(一九四二年)に創設された亜細亜文化研究所(おやさと研究所の前身)の開所式で、二代真柱様は所員に対して次のように訓示されている。

「世界には布教伝道するのが極めて難しい宗教(例えばイスラーム)がある。が、その宗教の根強い伝道対策なり、信仰なりに圧倒されることなく、そこには如何なるウィークポイントがあるか、そのウィークポイントを衝くにはどうすべきかというところまで掘り下げることが大切である。一般的な研究をして、それを発表しさえすれば良いというがごとき、お座なりのものでは決してあってはならない」。(筆者・一部を要約)

 二代真柱様はまた少年会の幹部会でも、長い歴史をもつ仏教やキリスト教に立ち向かう場合、本教の歴史が短ければ短いほど努力を多くしないと追いつかないと訓示されている。

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