石崎正雄『こうきと裏守護』天理やまと文化会議 pp.76-77

 実際の信仰と民俗的信仰がどの程度ズレているかについて、角川選書に五来重氏が書かれた『日本の庶民仏教』という本に適当な例が出ています。その中の「弘法大師と民間信仰」という項目では、弘法大師信仰について述べられています。弘法大師は、ご存じの通りたいへんな有名な僧侶で、いろいろな地域に伝説や旧跡があります。大師さんの井戸あるいはため池だと言われるいろいろな旧跡が残っているのですが、そのような話は弘法大師の本来の伝記にはもちろん出てきません。現在でも大師講というものがありますが、民間で行なわれる大師講は十一月二十三日で、真言宗でのそれは弘法大師の亡くなられた十一月二十一日に行なわれています。真言宗で行う大師講と、民間の大師講は二日ズレているのです。民間でやっている大師講は、本来は日本の秋祭りの二十三日に行なわれる、昔なら新嘗祭と言われていた、新穀を神様に捧げる祭りでした。それが大師講と混じってしまって、同じように呼ばれるようになったのです。本来は新嘗祭です。しかし名前だけが弘法大師と混じって大師講になっているのです。ですから大師講には、たとえば、弘法大師は足が一本であったとか、旅の途中で大根を引き抜いて食べたとか、そういう話がついています。また、大師講の時にはかならず風呂を炊きます。それは能登にあるような「あえのこと」の習俗が広がってできたのです。また小豆粥を炊くといったこともします。大師講は、本来は秋祭りや祖霊祭りといった民間の行事に、弘法大師がくっついたものですから、民間で大師講と言っているのは、弘法大師である場合もあれば元三大師の場合もあり、また聖徳太子の場合さえあります。このように、実際に民間で行われるものと歴史的なものとは意味が違うわけです。ですから、この神様・仏様はこういう守護だ、と我々が教理の上でやっていても、実際には間に合わないわけです。実際にその土地でフィールド・ワークをして、大師講のような、名称と実際が違うというところまで押さえておかなければ、ほんとうのところはわからないのです。裏守護の神仏の場合もそれと同じことが言えます。文献だけで調べたのでは十分でないわけです。

 ですから単純に、くにとこたちのみことはこの仏様でこういう守護をされているとか、この神様と一致するとかしないとか、そういうことは軽々しく言えないのではないでしょうか。

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