魂とは、動物の肉体に宿って心のはたらきをつかさどると考えられるもの。古来多く肉体を離れても存在するとした。霊魂。精霊。たま。(広辞苑)

 お盆で8月13日に祖先の霊を迎え火を行なって迎え、16日に送り火を行なってあの世に送ることは霊魂が存在すると言う事の前提の行事です。

 さらに、心霊体験で霊を見たとか、憑依されたとかとの話がありますが、実際に私も体験しましたので、多くの人が霊魂の存在を信じていると推測されます。

 

 天理教では、霊に対する供養の教えはありません。そして、「このよふにかまいつきものばけものもかならすあるとさらにをもうな 」(十四 16)のおふでさきがあるように祟りや憑き物に対しては否定されています。

 では、霊魂の存在はないのかとの問題がでてきますが、かしもの・かりものの教理の中で、身上を誰に貸しているのかの問題があり、心一つが我がのものであるなら心に貸していることになります。いんねんとは心の道ともいうので、同一の心があるものが存在していなければ説明がつきません。

 「人間の身上が借物であるならば、借主は誰かといふに、人間の霊であります。霊とは神の分け霊であつて、人間が霊に生き、霊によつて身上を使ふならば、身は自由用の理をいたゞくのであります」(天理教綱要. 昭和5年版)

 ※神道では、神とともにあるから、それを「カンナガラ(惟神)」といい、神の命を分け与えられて生きているから、人は「神の子」、生命は神の「ワケミタマ(分霊)」と考えられた。

 高山にくらしているもたにそこに くらしているもをなしたまひい(十三 45)

 それよりもたん/\つかうどふぐわな みな月日よりかしものなるぞ(十三 46)

 「人間の魂なるは泥海に いたるどじょう此の心見て」(和歌体14年本 山澤本)

 「人間の魂、五体の道具雛型を見出そふと見澄ませば、泥海中にとじよふばかりおる。この者を貰い受け、食べ、此の味わい心を見て人間の魂とす」(16年本 桝井本)

 このよふのはぢまりだしハとろのうみ そのなかよりもどちよばかりや(四 122)

 このどぢよなにの事やとをもている これにんけんのたねであるそや(四 123)

 このものを神がひきあけくてしもて だん/\しゆごふにんけんとなし(四 124)

 親神は、どろ海中のどぢよを皆食べて、その心根を味い、これを人間のたねとされた。(天理教教典)

 どちよは、おふでさきの「どちよばかりや」、「ひきあけくてしもて」やこうき本の「どじょう此の心見て」、「どじょうばかりおる」から物質的な個体がたくさんいると考えられます。つまり、どぢよ=人間の種(人間の魂)です。したがって、当時に元初まりの話と古事記・日本書紀とは相違あるので問題視され、明治19年に神道本局へ「創世の説は記紀の二典に依るべき事。人は万物の霊たり魚介の魂と混同すべからざる事」の請書を出しています。

 

 天理教の原典・教義書にも、

 このものを四ねんいせんにむかいとり 神がだきしめこれがしよこや(三 109)

 しんぢつにはやくかやするもよふたて 神のせきこみこれがたい一(三 110)

 4年以前とは、明治3年陰暦3月15日に迎い取られたお秀の事を言われたものであるので、生まれかえらそうとする同一のもの(魂)があります。

 このよふのはじまりたしハやまとにて やまべこふりのしよやしきなり(十一 69)

 そのうちになかやまうぢとゆうやしき にんけんはじめどふくみへるで(十一 70)

 このどふぐいざなぎいゝといざなみと くにさづちいと月よみとなり(十一 71)

 月日よりそれをみすましあまくたり なにかよろづをしこむもよふを(十一 72)

 天保9年10月に中山家の屋敷にいたのは、中山善兵衞(いざなぎ)、みき(いざなみ)、長男秀司(月よみ)、長女おまさ、三女おはる、五女こかん(くにさづち)です。

 したがって、初代真柱がおさしづの割書に「このやしきに道具雛型の魂生れてあるとの仰せ、このやしきをさして此世界始まりのぢば故天降り、無い人間無い世界拵え下されたとの仰せ、上も我々も同様の魂との仰せ」(M20.1.13〈陰12.20〉)と伺っています。

 親神は、この約束により、人間創造の母胎としての魂のいんねんある教祖を、予めこの世に現し、宿し込みのいんねんある元のやしきに引き寄せて、天保九年十月二十六日、年限の到来と共に、月日のやしろに貰い受けられた。この人と所と時とに関するいんねんを、教祖魂のいんねん、やしきのいんねん、旬刻限の理という。(天理教教典 第三章 元の理)

 後日のお話によると、願通り二人の生命を同時に受け取っては気の毒ゆえ、一人迎い取って、更にその魂を生れ出させ、又迎い取って二人分に受け取った、との事であった。(天理教教祖伝)

 おはるが懐妊った。教祖は、「今度、おはるには、前川の父の魂を宿し込んだ。しんばしらの真之亮やで。」(天理教教祖伝)

 教祖は男児安産の由を聞かれ、大そう喜ばれた。そして、「先に長男亀蔵として生れさせたが、長男のため親の思いが掛って、貰い受ける事が出来なかったので、一旦迎い取り、今度は三男として同じ魂を生れさせた。」と、お話し下された。(天理教教祖伝)

 魂のいんねんによって、小東家からまつゑを迎えるように、と諭され(天理教教祖伝)

 魂のいんねんにより、親神は、こかんを、いつ/\迄も元のやしきに置いて、神一条の任に就かせようと思召されて居た。(天理教教祖伝)

 座に返られると、秀司に代って、「私は、何処へも行きません。魂は親に抱かれて居るで。古着を脱ぎ捨てたまでやで。」と、仰せられた。つゞいて、こかん、おはるに代って、それ/\話された。(天理教教祖伝)

 教祖からお言葉があった。「さあ/\いんねんの魂、神が用に使おうと思召す者は、どうしてなりと引き寄せるから、結構と思うて、これからどんな道もあるか ら、楽しんで通るよう(後略)」と、仰せ下された。(天理教教祖伝逸話篇 三六 定めた心)

 お側の者が、「お一人で、お寂しゅうございましょう。」と、申し上げると、教祖は、「こかんや秀司が来てくれるから、少しも寂しいことはないで。」と、仰せられるのであった。又、教祖がお居間に一人でおいでになるのに、時々、誰かとお話しになっているようなお声が、聞こえることもあった。又、ある夜遅く、お側に仕える梶本ひさに、「秀司やこかんが、遠方から帰って来たので、こんなに足がねまった。一つ、揉んでんか。」と、仰せになったこともある。又、ある時、味醂を召し上がっていたが、三杯お口にされて、「正善、玉姫も、一しょに飲んでいるのや。」と、仰せられたこともあった。(天理教教祖伝逸話篇 一一〇 魂は生き通し)とあります。

 おさしづにも明治26年3月18日に飯降さとが出直しになり、「さあ/\十分息の通うたる間一つ」(M26.3.18 夜1:30 刻限)から、「けれど又春になりたら、春に勇んでおくんなはれや」(M26.3.18 am1:30 刻限)まで飯降さとの魂が本席に入りこんで思いを述べています。

 つまり、魂の存在があるということです。

次頁

inserted by FC2 system