天理教では、死ぬことを出直しと言いますが、親神から借りた人間の身体を親神に返し、また心にふさわしい身体を借りて、この世に戻ってくる。それは、古い着物を脱いで新しい着物に着替えるようなものと教えられています。

 人は、心の成人の未熟さから、多くは定命までに身上を返すようになる。身上を返すことを、出直と仰せられる。それは、古い着物を脱いで、新しい着物と着かえるようなもので、次には、又、我の理と教えられる心一つに、新しい身上を借りて、この世に帰って来る。(天理教教典 第七章 かしもの・かりもの)

 九月二十七日(陰暦八月二十八日)、こかんが三十九歳で出直した。この報せに、御苦労中の教祖は、特別に許可を受けて、人力車で帰られると、直ぐ、冷くなったこかんの遺骸を撫でて、「可愛相に。早く帰っておいで。」と、優しく犒われた。(天理教教祖伝 第六章 ぢば定め)

 教祖は、出直した秀司の額を撫でて、「可愛相に、早く帰っておいで。」と、長年の労苦を犒われた。そして、座に返られると、秀司に代って、「私は、何処へも行きません。魂は親に抱かれて居るで。古着を脱ぎ捨てたまでやで。」と、仰せられた。(天理教教祖伝 第七章 ふしから芽が出る)

※『正文遺韻』では「くぶくりんまで、をしへてきたけれどもいま、いちりんの、ところがわからぬ。是をこのたび、をしへるといふ。それ、かりものゝりといふ」とありますが、つまり、「かしもの・かりもの」の教理ですが、民間念仏信仰の「四遍和讃」の中にも「カホト貴 身ヲモツテムマレテ此土ヘクル時ハ五ツノカリモノカリテクル。死命土行時五借物返成」とかりものの理があると『こうきと裏守護』に記されています。

  そして、生きているうちに心の入れ替え、心の出直しをすることも教えられました。

 いまゝでハとんな心でいたるとも いちやのまにも心いれかゑ(一七 14)

 しんぢつに心すきやかいれかゑば それも月日がすぐにうけとる(一七 15)

 人間の出直しの時期は、理想的には115歳定命とされているが、成人の未熟さや親神のはからいなどから、それまでに出直すのが現状であって、生きているうちに心の出直しをして、心のほこりが基となった「いんねん」を切り替えることも教えられた。(改訂 天理教辞典)

 「心のでなほししたら、身上のでなほしたすけるで、心のたてをかへたら、身上のたてがかはるで、をつと(夫)一人たてるが、女のしようじよう(清浄)やで」と常住お聞かせ被下た。(正文遺韻抄)

 出直すは、1 一度引き返し、改めて出かける。「留守でしたら明日また―・します」

      2 最初からやりなおす。「過去を忘れて一から―・す」(goo辞書より)

とあるように一般的な理解は、生きてやり直す意味だけですが、天理教は身上かしもの・かりものの教理があるため、同一人物の心が一から此の世に再び現われれば出直しと同じであるので死も含みます。

 死は、おふでさきでは「神のてばなれ」「神がなんどきとこへいくやら」「かやし」「むかいとり」「しりぞく」「ゆめみたよふにちる」で、出直しではありませんが、これは神が警告をして強い立場で仰っています。

 こふき本では、「はてる(果てる)」「クレ(崩)」「しほふ(死亡)」です。

 しかし、こふき本の16年本(桝井本・5)に道具を寄せての部分で「人げんの生るふ時親子の縁を、しにてなをし(死に出直し)のときにえんきりのどふく」とあります。この説話体の骨子と考えられる説話体十四年本(手元本・二)では、十全の守護として「しにいき(死に生き)のゑんきりのしゆごう」とあります。それらを考えると桝井本は死と出直しをひとまとめにしています。

 つまり、明治16年教祖在世当時から出直しは死と高弟の意識の中にあるゆえに、おさしづでの割書に死を出直しとして伺っている記述があるのです。

 高井猶吉口述で「本教では、決して死んだことを死ぬとは言わん。『出直し』と言う。神様の死ぬとおっしゃるのは、この世を去って再び人間に生まれ更われないものを、本当に死んだとおっしゃるのである」

 かしもの・かりもの教理が分かれば、自ずと出直しの教理が理解できます。

 お粥の薄いのを炊いて食べさせると、二口食べて、「ああ、 おいしいよ。勿体ないよ。」と言い、次で、梅干で二杯食べ、次には トロロも食べて、日一日と力づいて来た。が、赤ん坊と同じで、すっ かり出流れで、物忘れして仕方がない。そこで、約一ヵ月後、周旋方の片岡吉五郎が、代参でおぢばへ帰っ て、教祖に、このことを申し上げると、教祖は、「無理ない、無理ない。一つやで。これが、生きて出直しやで。未だ年は若い。一つやで。何も分からん。二つ三つにならな、ほんま の事分からんで。」と、仰せ下された。(天理教教祖伝逸話篇 一九九 一つやで)とありますが「これが、出直しやで」と仰らずに「これが、生きて出直しやで」と接続助詞が付いてきます。この逸話編から、一つ(一歳)やでと赤ん坊から成長する姿を仰られ、実際何も出来ない状態から4年目から元通りになっている事から考えると、死によって身上を神に返し、そして新たな身上を貸してもらい此の世に誕生する事の代わりを仰ったのであります。

 おさしづも出直しは死と仰っています。

 明治二十一年一月二十八日(陰暦十二月十六日)

 「世上見て、めん/\一つどんな者も皆ある。動く事も出けん。皆いんねんの者である。生まれ替わり出直ししても、一つもほどかずしては、どんならん。そこで、めん/\やれやれとの心定めて、たんのうという処治め。」

 大意

 世間を見て、それぞれ一人どんな人もいる。体を動かせない人もいる。皆はいんねん(心の道)が現れた人である。生まれ替わり出直ししても、悪い心の道を断ち切れなければ、どうしようもない。そこで、それぞれたんのうの心を定めなさい。

 考察

 「生まれ替わり出直し」を「(生きながら)生まれ替わりするために心の入れ替えをする」と訳せば、最後にたんのうの心を定めなさい、つまり、心を入れ替えなさいでは、文脈がおかしくなります。そこで「生まれ替わりするために死ぬ」と訳せば心を入れ替えてないのでどうもならないから心を入れ替えなさいで文脈がおかしくなりません。

 明治二十六年十月十三日

 「それそれ心だけの理を遺して出直して居るから、そこは心置き無う運んでくれるよう。」

 このおさしづは、春野利三郎死去につき後継ぎの事を伺ったおさしづであり、そこに「出直して居るから」のお言葉があるのでそれは死を表しています。

  明治三十一年八月二日

 吉田梶太四女おとめ二才急に出直し、引き続き妻ムメノ逆上するに付願

 「さあ/\小人というは、どうも出直し余儀無く事情々々、一時どうも心がどうも判然せん。」

  明治三十一年十月三十一日

 「もう人間というものは、生まれ出る日があれば、出直す日もある。」

 出直しの意味を死と結びつけないことによって、今までの教義解釈を否定する根拠としたとしても原典に素直に従えば、出直しは死であるのが分かると思います。それが 「この道前生から今の世、又生まれ更わりまで諭す理である」(M31.3.26)の長い道すがらの理を心に治めなければならないのでしょう。

 人間は「死」と言えば「終わり」「苦しみ」とネガティブに捉えがちですが、

 おさしづの中に「人間という、一代切りと思ては違う。・・・さあ身上返やして了たら、暫くは分かろまい。なれど、生まれ更わりという道がある。」と親神は「死」を誕生へと続く道として説いています。

 お秀亀蔵も二人を屋敷に迎えとるために、そこは親神の思い通りにするために生まれ更わらせています。つまり肯定的な出直しをしています。

 心一つが我がの理であり、その心に対して、人間の身体は神からかしていただいたもの、いつかは返さなければなりません。三度の宿し込みによって、成人するために生まれ更わるその姿は、生きて出直しなのか、出直しとして死を迎えるのか人によって異なりますが、すべての人はその道を通らなければなりません。

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