宗教一般には、人間が守らなければならない道徳的な規律があります。
天理教では、戒律ではありませんが、親神の意にそわぬ人間の心のあり方、「心得違い」が、「ほこり」にたとえられています。
よろづよにせかいのところみハたせど あしきのものハさらにないぞや (一 52)
一れつにあしきとゆうてないけれど 一寸のほこりがついたゆへなり (一 53)
人間は本来、善きものであるが、ほこりが積りかさなると、知らず知らすのうちに、心は曇つて、本来の明るさを失い、遂には手もつけられないようになります。さらに、一人のほこりは、累を他に及ぼして、世の中の平和を乱すことにもなるから、常によく反省して、親神をほおきとして、絶えずほこりを払うようにと諭されています。
このほこりの心遣いを反省するよすがとしては、「をしい、ほしい、にくい、かわい、うらみ、はらだち、よく、こうまん」の八種を挙げ、又、「うそとついしよこれきらい」と戒められています。
八つのほこり(『ようぼくハンドブック』より)
をしい
心の働き、身の働きを惜しみ、税金や納めるべき物を出し惜しむ。また、世のため、人のための相応の務めを欠き、あるいは、借りた物を返すのを惜しんだり、嫌なことを人にさせて自分は楽をしたいという心。
ほしい
努力を怠り、十分な働きもしないで金銭を欲しがり、分不相応に良い物を着たい、食べたい、また、何によらず、あるがうえにも欲しいという心。
にくい
人の助言や忠告をかえって悪く取ってその人を憎む。また、嫁姑など身内同士の憎み合い。さらには、人の陰口を言ってそしり、笑い、あるいは、罪を憎まず人を憎むという心。
かわい
自分さえ良ければ人はどうでもよい。わが子への愛に引かされて食べ物、着物の好き嫌いを言わせ、仕込むべきことも仕込まず、間違ったことも注意しないで、気ままにさせておくという心。また自分のために人を悪く言うのもほこり。
うらみ
体面を傷つけた、望みを妨げた、どう言ったと自分の不徳を思わず、人を恨み、根に持つような心。
はらだち
人が悪いことを言った、意に反することをしたと腹を立てる。理を立てず、我を通し、相手の言い分に耳を貸そうとしないで腹を立てるような心。
よく
人より多く身につけたい、取れるだけ取りたいという心。数量をごまかし、人を欺して利をかすめ、あるいは盗み、取り込むなど、何によらず人の物をただわが身につけるのは強欲。また、色情に溺れるのは色欲。
こうまん
力もないのに自惚れ、威張り、富や地位をかさに着て人を見下し、踏みつけにする。また、頭の良いのを鼻にかけて人を侮り、人の欠点を探す、あるいは知らないことを知ったふりをするような心。
大事なことは、内にたんのう※、外に親切です。
※たんのうは、単なるあきらめでもなければ、又、辛抱でもない。日々、いかなる事が起ろうとも、その中に親心を悟つて、益々心をひきしめつつ喜び勇むことである(天理教教典)