教団とは、同じ教義の信者が作った宗教団体です。

 信仰者が増えれば、開祖の下に自然と集まって教義を学んだり、統一された行動の必要性が生じてきます。それを総括するために上下関係が出来てきます。それが宗教団体です。さらに個人で行動するよりか団体で行動した方が社会に対する影響も大きいうえに、教団によって宗教組織の規定・運営や教義を学ぶ施設の設立・運営等が出来ます。

 教団は、ほとんどの宗教に存在しています。

 

 天理教の組織形態としては、教会本部・一般教会(大教会、分教会)・布教所があり、教会は本部直属の直属教会とそれに所属する部属教会(部内教会)に分けられます。

 天理教の統理者は、真柱です。本部役員として、本部員会議に諮って真柱が任命する内統領(祭儀及び教義に関すること、おはこび及び別席に関すること等)、表統領推薦委員会で本部員のうちから推挙する者を真柱が任命する表統領(布教に関すること、一般教会の設立その他の願出、規定及び規則の制定・変更又は廃止等)と本部員(真柱の命を承け、祭儀、おはこび、別席及びその他の教務に与る。本部員会議を組織する)がいます。他に本部員会議に諮って真柱が登用する者は、本部婦人、本部准員、本部詰員及び本部青年(女子青年)がいます。組織としては、真柱室と教義及史料集成部は真柱直属であり、他のすべての組織は内統領や表統領に管轄されます。真柱は、中山氏を名乗り、真柱の継承者は、教祖の血統者の系譜に基き、本部員会議において推戴します。

 真柱とは、教団ができたから存在したのではなく、「このやしきのしんばしらと成るというのは、生れ出ん先からのいんねんの事情、一つの理。分からん先から先にしんばしらと言うも、前々より諭してある」(M23.4.20 刻限)と記されているように、教祖の子おはるが懐妊中に教祖は「今度、おはるには、前川の父の魂を宿し込んだ。しんばしらの眞之亮やで」と仰せられたことから初めから準備されていたことであります。

 おふでさきにも、

 このさきハうちをおさめるもよふだて 神のほふにハ心せきこむ (一 58)

 明治2年、親神は先で屋敷内を治める段取りを急いでいて、

 このたびハうちをふさめるしんばしら はやくいれたい水をすまして (三 56)

 明治7年、世界の人々の胸の掃除に親神が箒として働き、次にしんの柱(かんろだい)を入れることによりたすけ一条の思召しとおつとめを急いでいます。その前段階として親神が屋敷内を治める中心として真柱(初代真柱)を置くために屋敷内の心を澄ます事を急ぎ、親神が最初に屋敷内を治める神意がある上での中心として真柱があります。真柱は、親神にとったら芯に用いるようぼくであり、「しんは細いものである。真実の肉まけバふとくなるで(しんばしらに誠真実の肉を巻けという意味)」で人間思案を混えぬ神一条の道を教えらました。「北は鍛冶屋南は大工で、神一条」(M20.320)で飯降伊蔵も初代真柱も神一条であります。

 人間の体にも骨という芯があり、骨があるので人間は立っていられるのです。

 建物の構造も地震対策で制振構造に心柱が有効であります。

 以上の事から、外にはかんろだいを入れてのおつとめによる世界への救済、内には真柱を入れることにより屋敷内の治まりですが、世界を建て替えるには、各自が親神の教えの芯をしっかりと入れることなのでしょう。

 天理教の教団の成立は、教会の成立でもあり、その成立は「教会について」で述べました。

 教会の中で、親教会や子教会とあるので、順序があります。その教会の会長は暗黙の了解の世襲制であり、教会の設立や布教所を開設すると初代入信時の所属が未来永劫子孫代々固定されてしまいます。江戸時代の封建制と同じです。

 教団内のあり方については議論すべき問題もあると思います。

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